横浜市立大学大学病院総合理学研究科   佐藤 衛

 カイコ細胞質多角体病ウイルス(BmCPV)は、カイコの内腸組織の細胞質で増殖するウイルスで、増殖後に多角体状の封入体の中に包理されるという特異な性質をもっている。 このウイルスは、粒子108(沈降定数:420〜440S)にも及ぶタンパク質と核酸から構成される巨大粒子で、核酸としては二重鎖のRNA、 タンパク質としては分離量30KのpolyhedrinとRNAポリメラーゼから構成されている。 BmCPVを電子顕微鏡で観察すると、直径約650Åの正二十面体粒子が各頂点にある突起部分で中腸細胞に接着している様子が認められ、 その突起を通して二十鎖RNAが宿主の細胞内に注入されるのではないかと考えられている。
 そこで、我々は、中性子溶液散乱法でBmCPVの溶液中でのマクロ構造を決定するとともに、コントラスト変調法を利用して、BmCPV粒子の内部構造を解析した。 コントラスト変調法は溶媒の散乱密度を変化させて、異なる散乱密度をもつ溶質構成員の構造情報を抽出する方法で、 中性子をプローブとしてウイルスのような異なる生体高分子から構成されている粒子の内部構造解析にはたいへん有効である。 また、このような巨大生体粒子の構造解析は、中性子はもとよりX線や電子線でも初めての試みであり、散乱法や回折法で解析できる粒子サイズの限界に挑戦する意味でも興味深い。
 中性子溶液散乱実験は、日本原子力研究所改造3号炉(JRR-3M)冷中性子導管に設置されている二次元位置測定小角散乱装置(SANS-U)で行い、 波長:7Å、飼料―検出器間距離:12m&4m、温度:5℃で散乱強度を測定した。飼料溶液は、コントラスト変調法による構造解析を行うために、ウイルス濃度を4mg/mlで一定とし、 溶媒のD2O/H2Oが異なる0%、50%、75%、100%の4種類のウイルス溶液を調製した。
 図1にD2O/H2O=0%、75%、 100%の溶液の散乱強度データI(q)q =4π sin/θ/λ、λ:波長、2θ:散乱角)を示す。 なお、D2O/H2O=50%のI(q )データからギニエプロットで慣性半径を計算し、その D2O/H2O依存性を求めた。その結果BmCPV粒子はその重心からほぼ等方的に散乱密度が分布し、 かつ、コア―部分の散乱密度が表層部分に比べて有意に高いことが明らかとなった。 そこで、図1のI(q)データから構造振幅F(q)を求め、F(q)をフーリエ変換してBmCPV粒子の重心からの一次元の散乱密度分布ρ(r)を計算した(図2)。 その結果、タンパク質は粒子内部で同心円状の二重殻構造をとって存在し、二重鎖RNAはBmCPV粒子のコア―部分、あるいはタンパク質の二重殻構造の間に存在することが示された。 さらに、図2から、半径r=350Å以上の領域にも散乱密度が有意に認められるので、距離分布関数を計算して、その領域の詳細な構造情報を得ることにした。 その結果、BmCPV粒子には図2の一次元の散乱密度分布ρ(r)で示された二重鎖RNAおよびタンパク質の構造領域以外に、 それらに比べて散乱密度が非常に低い領域が半径350Åから700Åにわたって存在していることがわかった。 これは、電子顕微鏡での観察で示唆された正二十面体状の各頂点からの突起(Spike)に相当すると考えられ(図3)、本研究によってその突起の存在が改めて確認された。
 以上、中性子溶液散乱法による巨大ウイルスの構造解析について簡単に述べてきた。 本研究で行った散乱法(や回折法)による直径1400Åにも及ぶ巨大粒子の構造解析はまったく初めての試みであり、 今後、X線や電子線にはない中性子の優れた性質を最大限に利用することによる、将来にわたる中性子散乱の生体物質への利用を大いに期待したい。