●東京都 川嶋 清司様
研究炉の利用情報ならびに利用者との情報交換を目的とした季刊紙「研究炉ひろば」を創刊号から毎号お送り頂き有り難うございます。
利用者の立場に立った新しい発想での「研究炉ひろば」の刊行、
当時の下邨理事長の業務推進の姿勢である"従来からの・・・よりも何をどうして何するか"に正にぴったりであったのではないでしょうか!
皆さんの発想の転換・発刊のご努力に敬意を表します。
内容は利用者の便を充分に考慮したそれぞれの研究炉などの現状から行事メモ・ニュースさらには利用者からの利用状況など広範囲に渡り、
我が国の原子力研究に携わる方々に原研が・研究炉が非常に近く感じられるようになったのではないでしょうか!喜びに堪えないところであります。
私は縁あって昭和43年の暮れ、実際には44年早々から46年の春まで研究炉管理部で黒衣として研究炉の安定運転に微力を捧げたことが懐かしく思い出されます。
当時の研究炉の運転は2号、3号、4号炉で昭和45年度には上から下まで、
一致しての努力により原子炉銀座の運転を知らせる赤い点滅灯が運転スケジュールに沿ってグルグル回っていた事が目に浮かびます。
ある時期には3つの点滅灯が一斉に回っていることもあり、初めての各炉の正常運転であったとか!「研究炉ひろば」を手にするごとに昔が思い出されます。
みなさん、利用者のために、ひいては我が国原子力開発のために一生懸命ご努力下さい。