河野先生のご専門はなんですか
専門分野は環境計測学・環境化学で、以下に少し詳しく述べます。
今日、私達は種々の化学物質の恩恵に浴し快適な生活を過ごしていますが、それらの化学物質が自然環境に漏出し気圏、
水圏、地圏及び生物圏の化学物質汚染を引き起こすことが懸念されます。そこで、化学物質による環境汚染を明らかにするために微量分析法を開発し、
その化学的計測法を用い人工的に合成された化学物質の環境における存在とその環境動態を明らかにする研究に取組んでいます。これまでに検討した化学物質のうち代表的な
3種の化合物を挙げると農薬DDT、化学工業材料に使用されたPCB及び人間活動で非意図的に生成するダイオキシン類で、それらの分析法を開発し環境汚染の実態を解明すると
共に環境における動態とヒト及び野生生物への影響評価に関する研究を展開しました。これらのDDT, PCB及びダイオキシン類はいずれも有機ハロゲン化合物と呼ばれる
化合物の仲間で、特に有機ハロゲン化合物を対象とする理由は、第1に世界における生産量が多いこと、第2に広域拡散性を有し環境中で安定であるがゆえに使用の場(例えば地圏)
に長期間残留するが、他方、適度にガス化し易く大気とともに長距離移動し広く環境中に拡散・分布し水圏や生物圏などの汚染を引き起こすこと、第3に生物濃縮性が強く、
生態系を構成する低次生物種である魚介類はこれらの有機ハロゲン化合物を高度に生物濃縮(水中濃度の1万倍から10万倍程度)
し、さらに高次生物種である魚食性鳥類、海生哺乳類の高濃度の生体汚染を引き起すこと。第4に生物に毒性影響を及ぼすためです。これらの有機ハロゲン化合物は
人工的な合成化合物であることから、生物にとっては代謝分解しにくく、生体内に長期間残留し慢性毒性影響をもたらすことが知られています。そのような理由から、
これらの有機ハロゲン化合物を研究対象として取り上げています。
研究炉を利用してどのような研究をしているのですか
環境中の未検討の有機ハロゲン化合物の分析を行っています。以下にその理由を述べます。アメリカ化学会のケミカルアブストラクトによると、
今日、化学構造が明らかにされている化合物は1千万種以上にも及び、統計資料を調べると製造・使用されている有機ハロゲン化合物の種類と量は膨大です。一般的には、
生産量が多く、開放系用途で使用し、その使用方法を誤ると環境汚染を引き起こすといわれていますが、どの化合物を環境汚染物質として調査対象とするか判断するのは
容易ではありません。また、もし化合物を選別できたとしてもその化合物の分析法を組み立てて実際に分析をはじめるには労力と時間がかかるという難点もあります。先述した(1)
項で挙げたPCB,DDT及びダイオキシン類などの塩素原子を有する有機塩素化合物、さらに難燃剤としてプラスチック製品に添加されている臭素化ビフェ二―ルエーテル等の
臭素原子を有する有機臭素化合物など、これまで環境中における存在が分析機器によって確認されている有機ハロゲン化合物はごく少数で、これら以外に未検討の有機ハロゲン化合物が
密やかに環境汚染を惹き起していることが危惧されています。この未検討の有機ハロゲン化合物の汚染評価を行うためにはその存在レベルを明らかにすることが重要です。
その環境中における存在レベルを明らかにする方法として現在、私共が用いている方法は、まず環境試料中の有機ハロゲン化合物を有機態ハロゲン総体としてハロゲン元素の測定を行い、
他方同一試料中の個別有機ハロゲン化合物をガスクロマトグラフ質量分析計などの分析機器を駆使して測定し、両者の差し引きから未確認の有機ハロゲン化合物の総濃度を有機態
ハロゲン濃度として求めているのです。このハロゲン元素の分析に、中性子放射化分析法(Neutron Activation Analysis: NAA)を用いています。NAA法は塩素、臭素、ヨウ素の高感度、
個別分析が可能で威力を発揮しています。多数の環境試料を分析する際にもNAA法は、その威力を発揮し簡便・迅速で、短時間に多数試料の分析が可能です。
以前は、パラジウム触媒を用い水素雰囲気下で有機ハロゲン化合物中のハロゲン原子の脱ハロゲン化を行い、そのハロゲン化水素を純水にトラップし、クーロメトリーで測定してい
ましたが、ハロゲン元素の分別定量が困難であること及び定量下限など難点が多い。ハロゲン元素分析法としてlICP-MSを用いる方法も報告されていますが、一部のハロゲン元素
の測定が困難などの問題点があり、その点でもNAA法は優れていると云えます。なお環境のどの系(大気、水系、土壌・底質、生物など)にどの程度の未検討の有機ハロゲン
化合物が分布しているかが分かれば、次の研究のステップとして、個別化合物が分析可能な分析機器を用い化学構造から化合物名を特定することができます。
ここで用語の定義について少し述べますと、有機態ハロゲンの英訳は、一般にはExtractable OrganohalogenあるいはExtractableOrganic HalogenまたはOrganically-bound Halogen
などと呼ばれています。Extractableは”抽出可能な”という意味ですが、いずれも有機溶媒で抽出される成分を分析対象とするという意味で用いられています。私は、最近もっぱら
Extractable Organohalogens (EOX)を用いています
この研究はどのような分野にフィードバックされているのでしょうか
研究成果の社会への還元について述べますと、化学物質の環境汚染に関しては、社会的にも関心が
高く学会発表以外にも機会をとらえて市民集会などでも研究成果を公表するように心がけています。
その他、高等学校への出張講義や小中高生が研究室を訪問する際などにも折に触れ研究内容と成果を説明しています。
学会発表について、国内開催では日本環境化学会、日本環境科学会、日本放射化学会、日本アイソトープ協会主催のアイソトープ・放射線研究発表会など、国際的には
International Symposium on Halogenated Persistent Organic Pollutants(通称、ダイオキシン国際会議)、Asian Pacific Symposium of Radiochemistry (APSORC),
International Conference on Modern Trends in Activation Analysis(MTAA)等で研究成果を発表しています。昨年、東京で開催された12th MTAAでは招待講演で、
"Instrumental Neutron Activation Analysis of Extractable Organohalogens (EOX) in the Biosphere -Occurrence and Bioaccumulation in Marine Mammals-
(生物圏における有機態ハロゲンの中性子放射化分析 -海生哺乳類における存在と生物濃縮-)というタイトルで発表しました。また2005年9月には、オーストリア・ウィーンにある
International Atomic Energy Agency(国際原子力機関)の招聘を受けて"Consultants Meeting on Nuclear Analytical Techniques for Determination of Halogenated Organic
Pollutants in the Environment (核エネルギーを用いる有機ハロゲン汚染物質の分析手法に関する専門家委員会)"に出席しアメリカ、カナダの研究者とともに講演を行いました。
なお、IAEAが原子力の平和利用の啓蒙書として一般・専門家向けに2004年に発刊した書籍"Analytical Applications of Nuclear Techniques (核エネルギーの分析手法への応用)"の中に、
私共の研究が紹介されています。
この研究で苦労されているところは
東京大学大学院工学系研究科原子力専攻の原子力機構施設共同利用研究制度を利用し、中性子源として日本原子力研究開発機構・東海研究開発センターの研究用原子炉JRR-4を用い
NAAを行っています。照射実験の手続きや実験時に立ち会って分析のサポートをしていただいている本専攻の大学開放研究室スタッフの皆様及び照射実験時に原子力研究開発機構の
共同利用スタッフの皆様に大変お世話になっていて、大変感謝しているところです。
最近、JRR-4の利用稼動率が上がっているとのことで、NAA照射実験の日程確保に苦労しているところですが、実際の照射実験に際して苦労している点は、バックグラウンドの低い
試料容器がない点です。そのため低濃度データを得ることが困難な状況にあり、分析手法にひと工夫必要です。
先生の目標を教えてください
本研究の到達点は、第1にEOX分析の標準法をつくることです。EOX分析を行っている世界の研究者のネットワークを構築し、世界的に統一した分析法をつくり分析データの
信頼性の向上とデータの共有化を図れればと考えているところです。第2に環境の主な系に、EOXがどのように分布し、系から系へのフローがどうなっているかを明らかにすることです。
今のところ、いくつかの海洋生態系における低次生物から高次生物への濃縮性について検討していますが、有機態塩素(EOCl)よりも有機態臭素(EOBr)の生物濃縮性が強いことが次第に
明らかになってきました。環境の各系にどの程度EOXが存在するかが分かると、優先的に検討すべき環境の系とハロゲン元素の種類を特定でき、引き続いて個別化合物の化学構造の解明
への足がかりを得ることができることになります。化学構造が特定できれば、汚染物質として環境動態と生物影響を詳細に評価できます。
そして本研究の最終的なゴールは、これらの研究を通して得られた情報をもとに、化学物質の汚染の低減化を図り、ヒトを含む野生生物が化学物質汚染による健康への悪影響を被る
ことの無い環境の創成に貢献することです。
ありがとうございました。
この研究に関するお問い合わせは
愛媛大学 農学部
河野 公栄准教授:mkawano@agr.ehime-u.ac.jp
にお願いします。