東京大学物性研究所   長尾 道弘

 「水と油」という例えがあるように、この二つの液体をそのまま混合しようとしても分離する。これは日常的に誰もが経験していることである。 この原因は、水と油の間の界面張力が高い事であるが、ここに界面活性剤が介在すると、水/油間の高い界面張力が低下して一様に混ざり合うことができる。 しかし、ミクロに観ると水相と油相はそれぞれ分離したままであり、水相と油相、更にその界面にある界面活性剤によって様々な構造を形成する。 このうち、構造の特徴的大きさが数nm〜数十nm程度の透明な液体をマイクロエマルジョンと呼び、複雑液体系の一種として研究が盛んである。 マイクロエマルジョンは様々なメゾスコピック構造を形成し、水滴が油中に分散浮遊している油中水滴(w/o droplet)構造、 水相と油相が一次元的に交互に並んだlamellar構造などが代表的である。 陰イオン性界面活性剤AOT(dioctyl sulfosuccinate sodium salt)を水及び油と混合した系は、典型的なマイクロエマルジョン系として知られ良く研究されている。 AOTは水和により親水基から陽イオンを解離する。 その為、温度上昇によって親水基間の静電反発力が大きくなり、界面活性剤膜の自発曲率が変化し、様々な構造間の相転移が観測されることが知られている。 一方で、圧力は重要なパラメーターであるにもかかわらずこれまであまり多くの実験がなされていない。 我々のグループでは、このようなマイクロエマルジョン系における温度変化や圧力変化による構造変化の様子を調べ、 マイクロエマルジョン系の秩序形成要因を明らかにすることを目的とし、実験を行っている。 実験は、JRR‐3Mの冷中性子導管に設置された中性子小角散乱装置(SANS‐U;C1-2ポート)及び中性子スピンエコー分光器(ISSP‐NSE;C2-2ポート)を用いて行った。 図1には我々が用いている高圧力セルの写真を示す。 中性子透過用の窓材は2枚のサファイア単結晶(厚み20mm)で、中性子の透過率は約96%である。 図2には、中性子小角散乱パターンの圧力変化の様子を示す。 圧力上昇により低運動量側のbroadなピークは強度を減じ、45MPa付近から高運動量側により鋭いピークが現れる様子がわかる。 これは、圧力上昇によって密なdroplet構造からlamellar構造への相転移が引き起こされることを示している。 また、温度変化実験でも同様な結果が得られ、温度上昇、圧力上昇ともに、同様な相転移を示すことが初めて明らかになった。 一方、中性子スピンエコー(NSE)実験から得られた結果を理論的なモデルと比較することによって、 表に示すように、膜の弾性率が温度上昇と圧力上昇で逆の振る舞いを示すことが明らかになった。 この結果は、界面活性剤の単分子膜は温度上昇によって軟らかくなり、圧力上昇によって硬くなる傾向があることを示している。 このような違いも我々のNSE実験によって初めて明らかになった。 以上のように、温度上昇と圧力上昇では静的構造では似た振る舞いを示し、高温と高圧におけるそれぞれの構造はマクロな相図上では区別することが出来ないが、 動的構造は必ずしも等しくない。 これは構造形成のメカニズムが温度上昇と圧力上昇で異なっていることを反映しているためと考えられる。 今後、中性子の特徴を活かした、界面活性剤膜の曲率の変化の様子を調べるなど、更に研究を進めていく予定である。


   
図1.中性子小角散乱用高圧カセル     図2.圧力増加に伴う中性子散乱変化の様子


膜の弾性率(常温高圧) 膜の弾性率(常温常圧) 膜の弾性率(高温常圧)
4.1x10-20[J] 1.9x10-20[J] 0.75x10-20[J]

表.NSE測定によって得られた界面活性剤膜の弾性率